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「 沖縄も昔は、木造住宅が主流でした 」

 第二次世界大戦で、ほとんどの家が焼け跡形もなくなり、当時の沖縄は、米軍統治時代を迎えたころです。アメリカから、様々な文化も入って、コンクリート技術もこの頃から盛んになったそうです。
 
 当時、「ガリオア資金」※¹ とよばれる復興資金が半分程度出たそうです。
もちろん、その残りは、銀行からの融資であり借金な訳ですから、現代と変わらず工期もきっちり決まっていたそうです。九州から材木は取り寄せても、乾燥させている時間がないため、スギなどは、生木(白木)のまま使わないと工期に間に合わなかったそうです。

 また、ヒノキを発注しても、それとよく似た「アスナロ」と言う木材が届いたそうです。材木屋は、沖縄の人だから材木を似せたのを送っても分からないと思っていたんでしょうね・・。この「アスナロ」が白蟻に弱い木材で、この時期に建築した木造住宅は、後に白蟻がついてしまったそうです。
 
それが相次ぎ、「木造住宅は、だめだ!」という評判が立ったそうです。

                      元ウチナ―大工棟梁の方のお話より

 ※¹「ガリオア資金」  第二次世界大戦後の米国による占領地救済政府資金で、沖縄では道路、
            電力施設、水道施設、港湾の整備、他、建築資材、食料品肥料、油脂類、
            薬品、教育等にも使われたそうです。

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